禅定林・僧坊・本堂

 サンガ師は9歳から24歳までの15年間、比叡山留学日本大乗仏教の考え方、物の見方などを修得しました。しかしそれは、南方系仏教の中では相手にされないか完全に淘汰されてしまう可能性が大きく、ましてインド仏教の再生は不可能だろうと思われました。
[]
禅定林仮本堂の全景
 サンガ師の帰国を目前に、このことについて関係者が相談した結果、仏教実践のために拠点となる施設を設けることになり、1983年1月、ナグプール市の東南90Kmにあるバンダラ県ポーニ市ルヤード村に、インド側の「印日仏教友好協会」および日本側の「日印仏教友好協会」の募金により同建設用地8000坪が購入されました。
 サンガ師は1985年12月に帰国。翌年1月には拠点施設「禅定林」の建設工事が始まりました。
 工事は大幅に遅れ、1987年2月8日に予定されていたの落慶式には完成せず、当日はテントを張っての落慶式となりましたが、日本からは50数名の僧侶や関係者が参列し、地元からは10万人以上の人たちが集って、式典は盛大かつインドらしく賑やかに行われました。

 禅定林はワインガンガの川岸にあり、雨期には2メートル以上の水位になるため、建物は高床式になっています。
 間取りは、18uの部屋が3つ、9uの部屋が3つと食堂、シャワー室、トイレで、当初は大きい方の真ん中の部屋を仮本堂、左を住職部屋、右の部屋および小部屋の1つを来客用、残り2つを書生用に使っていました。
 次第に「子供の家」の子供が大きくなって、入試や思春期などのために他の子供達と別に生活をしなければいけない状況になり、普段は仮本堂や住職部屋以外の部屋に移していました。しかし、泊まりの来客がある時は、子供たち全員を禅定林の1室にすし詰めにするか、その時だけ「子供の家」に戻すか余儀なくされていました。
[]
第2僧坊と水タンク
 この厳しい状況をパンニャ・メッタ協会日本委員会常任理事村上圓竜先生にお話したところ、ご本人が所長をしておられる天台宗東海教区の方々に協力を呼びかけて下さって、第2僧坊建立の支援をしていただくことになりました。
 また昨年末に禅定林を参拝をされた和田新平様(大津市)からも多大なる支援金をいただきました。
 この支援金により8uの部屋が2つ、食堂、水タンクが完成し、子供達も来客も安心して過ごせるようになりました。

[]
禅定林の佛遺庭園の苦行像
 禅定林の前庭には「釈迦仏跡庭園」があります。これまで禅定林に参詣する場合には、本堂内の釈迦牟尼如来が奉安されているだけで、説法師が法を説く以外にお釈迦様の偉大さを敷衍する方法がありませんでした。
 そこで2000年の春、禅定林前提に、「生誕」「四門出遊」「苦行」「成道(乳粥供養)」「初転法輪」「涅槃」の像を配置した庭園を造り、教化をはかることにしました。

 禅定林では20周年を迎える2007年、インド仏教再生の拠点となるべき大本堂を建設する予定で、2004年には「インド禅定林大本堂建立委員会」を結成して計画を進めています。
 2005年には地鎮祭、翌年に上棟式を予定し、現在、勧募活動や建築の準備が進んでいます。詳しくは、メニューの【禅定林大本堂】をご覧下さい。

 なお、200年春には隣地を買収し、敷地は約1万3千坪となりました。

禅定林 建物配置図
 禅定林の全容です。ご覧になりたい場所をクリックすると、別画面が開きます。 四門出遊 生誕像 第1僧坊 果樹園/農地 ルヤード村 ワインガンガ河 苦行像 乳粥供養 初転法輪 涅槃像 第2僧坊 大本堂