インド禅定林大本堂建立趣意書

時下、御尊台様におかれましては益々御清祥の事とお慶び申し上げます。ま た平素よりインドにおきましてパンニャ・メッタ協会が展開しております活動 に格別なる御理解と物心両面にわたる御協力を賜っておりますことに心より感 謝申し上げます。

2500有余年前に釈迦牟尼世尊がインドにおいて悟られた仏教信仰・思想 は阿育王によってインド全土のみならず近隣諸国にも流布され、龍樹菩薩、達 磨大師、玄奘三蔵等によって中国に伝播。南岳恵思禅師、天台大師に継がれ、 やがて聖徳太子、伝教大師、各宗祖師様方によって日本でも華開きました。

この様に仏教そのものは世界宗教として発展をとげ、諸外国の人たちからは、 現在のインド社会においても2500年来綿々と仏教を継承しているかのよう に思われがちです。しかし、あにはからんや日本に仏教が東漸したのと同時期、 諸般の事情により本家のインドからはほとんど消滅してしまいました。以後東 ベンガル地方に上座部仏教、ラダック地方に逆輸入されたチベット仏教が細々 と残っているに過ぎず、巨大国インドにあっては仏教が存在していないに等し い歴史が1500年間続いておりました。しかし、約50年前から仏教を再生し ようといううねりがはじまりました。

日本仏教にとって聖徳太子が重要人物であるのと同様に、現代インド仏教に とってはアンベドカル博士がかけがえの無い人物であります。博士は独立イン ドの初代法務大臣を勤め憲法を作成されましたが、「カースト制度等インドが 抱えている諸問題を解決するには仏教の山川草木一切は平等であるとの教えし かない」との考えから50万人以上の仲間と共に昭和31年10月14日にヒ ンドゥ教から仏教に改宗されました。しかし、悲しいかな博士はその後わずか 二ヵ月で他界され、民衆はたちまち指導者を失い、呼称がヒンドゥ教徒から仏 教徒に変更しただけにとどまり、寺院も無ければ僧侶もいないという状態でし た。その後博士の意思を継いで門弟達が活動を展開しておりましたが、思うよ うに進展していないのが現状でありました。

この様な時代背景下、私は、「インドに大乗仏教の灯を再び」とのインド仏 教界の期待を受け、師僧であります堀澤祖門大僧正のお導きをいただき、昭和 46年6月4日に天台宗総本山比叡山延暦寺の公式留学僧として来日させてい ただきました。以来15年間比叡山延暦寺や天台宗御先徳様方をはじめ多くの 方々の指導を仰いで日本留学を満行、昭和60年末にインドへ帰国しました。

多くの留学ケースを顧みますと、留学生と受け入れ側との関係がこの時点で 疎遠になるようですが、私に関しましては変わることなく、いやそれ以上に皆 様に支えていただき、インドにおいて宗教、教育、医療等の社会福祉活動を展 開させていただいております。

この様な経緯の中、今般「インドに大乗仏教の再生」の願いを成就するため 「インド大乗仏教総本山禅定林大本堂建立」を誓願いたしました。
この大本堂は、大乗仏教布教の一大道場になる事は言うまでも無く、インド 仏教徒の精神的象徴となり、諸宗教の方々の霊魂の交流の場となり、世界平和 の祈りの場となります。また、インド、日本及び諸外国からの仏法修行者の受 け入れ道場として人材育成の役割を果たすものと考えております。
「あきらけく 後の仏の御世までも 光つたえよ 法のともしび」この道場 が、永劫、インド大乗仏教のともしびとなることが大願であります。
この大願成就のために有縁の方々に趣旨を御理解いただき、御指導を仰ぐと 共に御協力を賜りたくよろしくお願い申し上げます。
合掌九拝

平 成 1 6 年 4 月 吉 日
イ ン ド 大 乗 仏 教 総 本 山 禅 定 林
住職  サンガラトナ 法天 マナケ