大乗仏教の総本山 大本堂、インド中部に来年着工
比叡山で修行のマケナ氏

 比叡山(大津市)で十五年間修行したインド国籍の天台宗僧侶サンガラトナ・法天・マナケ氏(42)が、同国中央部ポーニ市の自坊・禅定林で、1200人が収容できる「大木堂」の建設を計画している。帰国から19年がたつ。「インドで姿を消した大乗仏教の再生を」。大本堂は壮大な夢に向けての一里塚になる。

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比叡山で傾行のマナケ氏

 これまで禅定林を拠点に孤児院や小中校の運営、遠隔地の巡回医療活動などに従事してきた。2001年のインド大地震でも被災者支援に携わった。
 先々に、カーストの抑圧に苦しむ民衆がいた。「インド大乗仏教総本山」を名乗る禅定林大本堂は、手狭な現在の本堂に代わって、平等を求める人々の受け皿として新築される。
 昨年11月には渡辺恵進天台座主を特別顧問に、同宗僧侶ら支援者で構成する建立委員会が発足。宗派が資金援助すスことも決まり、来年2月に着工する予定だ。ポー二市ばマハラシトラ州ナグプールの南東の郊外。
 種は48年前にまかれた。独立インドの初代法相で、仏教復興運動の指導者、アンベドカル博士(1891−1956)。「不可触民」階級の出身者として反差別闘争に身を投じ、最晩年、カースト打破を叫んで平等思想を説く仏教に集団で改宗した。
 博士の右腕だったのがマナケ氏の父親、サッチタナング・マナケ氏(故人)。父は71年、自宅に滞在していた比叡山の僧侶・堀澤祖門氏(現・叡山学院長)に9歳のマナケ少年を託した。博士の遺志を継ぐため、この子に日本の大乗仏教を学ばせてほしい、と。
 修行を終えたマナケ氏は85年に帰国後、票田を耕すのに躍起な政治家が仏教を利用する姿を何度も見てきた。「博士の思想が歪曲されている」
 憂慮とともに、差別にあえぐ多くの人々が「心のよりどころを求めている」のを感じた。同氏の発願で98年に開眼した釈迦牢尼の大仏の大祭には毎年、被差別力ーストばかり30万人以上が集うという。
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 「機が熟して」大本堂建設を決断した。「一切衆生悉有仏性の教えを伝えていきたい。インド社会には、僧侶が在家の人たちと蜜な乳係を築く日本型の仏教が必要です」とマナケ氏。
 求められるのは、宗祖伝教大師の遺戒「己を忘れて他を利する」の実践だ。
 大本堂は、外観を多宝塔の形に設計した。内部は、信徒が撃っ外陣と本尊を肥る漬弥壇が同じ高さで、僧侶のいる内陣が一段低い「天合様式」にするという。人々がカーストの呪縛から僻放される場になる。
 落慶法要は、禅定林が開かれてちょうど20年目の07年2月8日に営む。
【写真解説文】将来の構想を語るマケナ氏/来年着工する大本堂の完成予想図
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