こころのページ サンガラトナ・マナケ師
インド禅定林大本堂・来年2月完成  喜怒哀楽を民衆と共に

 9歳で単身来日、大津市の延 暦寺で修行を積んだサンガラト ナ・マナケ師(44)は今、日印両国 の組織的な協力を得て社会福祉 などの支援活動に取り組んでい る。拠点として、20年前にナグプ ールの南東90`のポーニ市郊外 で開いた寺院「インド禅定林」の 境内に建設中だった宿願の大本 堂が、来年2月に完成する。「日 本の若者にもこのお堂を訪ね、 自身を見つめ直してもらえた ら」と願うマナケ師に聞いた。     
 「インドは国民の80%を占め るヒンズー教徒の国で仏教徒 (日本のような大乗仏教ではな く、南方系の上座部仏教)は0・ 8%に過ぎません。独立後の初 代法相を務めたB・R・アンベド カル博士(1891〜1956)は、カースト制度の撤廃・平 等社会の実現を目指し、亡くな る2か月前にヒンズー教から仏 教に改宗しました。50万もの人 々が後に続き、博士は『インド仏 教復興の父』と呼ばれます。博士の熱 心な支持者だった両親は、 その遺志の実現を私に託して日 本に送り出したのです」

インド禅定林の完成予想図を手に語るマケナ師
 寺で生活しながら大津市立の 小学校へ通い、83年に比叡山学 院の本科を卒業した。「百日行」の満行も外国人僧で初めて だった。
 「学院長で私の師匠、堀澤祖門 師らによる日印両国の仏教友好 協会が、ポーニ市郊外に264 アールの土地を購入されており、そ こで活動を始めることになった のです。が、日本での15年間は山 内での厳しい限られた生活で、 帰国してもインドはもちろん、 日本のこともわからない。話せ る言葉は日本語だけ。自分に何 が出来るのかと迷いました」
 マナケ師は、現地の人たちと 一緒に生活し、彼らが何を欲し ているかをひたすら探った。そ こで子供も育てられず医療も受 けられない深刻な貧困という現 実に直面する。
 「3年間考えて出した結論は、 僧侶の自分にしか出来ないこと をしようということでした。例 えば、人を育てるという対価の ない、結果が目に見えない活動 です。聖僧だけではインドを発展させられない。地に足が付い た活動が求められる。民衆と喜 怒哀楽を共にしない限り仏教を 理解してもらうことなどできな いのです」
 88年に禅定林の施設を造って 修行生活に入り、最初の活動と して孤児院「パンニャ・メッタ 子供の家」を開く。入園希望者 が殺到し、近くに専用の建物を 計画。95年に完成したこの建物 内で、医療支援の1日診療所、 識字率の向上を目指し図書館も 開設した。
 「禅定林は04年に天台宗の海 外寺院に認められましたが、寺 院とは呼び難い。ちょうど天台 宗開宗1200年、アンベドカ ル博士改宗50年という節目を迎 え、パンニャ・メッタ協会を中 心に皆さんのご支援を得て大本 堂の建立を進めることにしたの です。鉄筋コンクリートの二層 式で31b四方、高さは相輪を含 め39b。比叡山の如法塔をモデ ルにしています。僧侶や一般に も開放し、どう生きるべきか考 えてもらう場にしたい。伝教大 師の言葉『依身より依処』は、 依るべき場があればきちんと生 きられるという意味ですが、日 本は今、依るべき場である社会 そのものがおかしくなってい る。日本の若者にも、ここに来 てもらえたらと思っています」
    
聞き手・坪井恒彦
     1962年、インド中部の大都市ナグプールに生まれる。比叡山延暦寺の 公式留学僧として15年間修行。天台宗の海外寺院「インド禅定林」住職。同寺 院を中心に福祉・教育・医療活動などを行うパンニャ・メッタ協会(日本委員 会は大津市におの浜2の2の5の910)理事長。1年の3分の1を日本で の支援や講演活動に充てる。04年、これらの活動で正力松太郎賞。
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