【正力松太郎賞の人(下)】
天台宗禅定林住職 サンガラトナ・法天・マナケ師 42(インド在住)

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 「私の力で受賞したとは思いません。多くの人の協力でここまでやってきましたから」。受賞の喜びを語る言葉は、関西なまりの滑らかな日本語だ。
 24歳にしてインド中部のポーニに禅定林という寺を建て、さらに孤児院や貧しい子供のための学校運営を通じて“布施行”を重ねてきた師は、日本で仏教を学んだ経歴の持ち主。その前半生は、まさに海を超えたドラマとでも呼びたくなる。
 父はカースト制に抗し、インドで仏教布教に尽力した「人間皆平等」を唱える仏教に帰依した運動家だった。その関係で僧になるよう定められ、9歳の時、つてをたどって故郷ナグプールから単身日本へ。比叡山で百日回峰などの修行を積んで14年後に帰国、お寺を拠点に布教を始めた。
 「中身はすっかり日本人。現地の言葉もわからない。“帰る”というより“行く”感じ」。その言葉通り、手探りの出発だった。だが91年、弱い立場にいる子供たちのためにと始めた孤児院「子供の家」の運営で手応えを得た。日本の仏教関係者の支えもあって今も35人の子供を預かる。地道な活動で、仏教への関心も徐々に高まっていると思う。「まあ仏教がインドに根づくには、これから何代もかかるでしょうが」と笑って話す。
 外国人の正力賞受賞は初めて。しかし、「今でもモノを考えるときは日本語」。日本仏教が育てた師の活躍の場は、これからも大きく広がっていきそうだ。(時)
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