如是我想

2006年7月の日記

2006年7月30日(日)
大雨情報
2006年7月28日(金)
身勝手
2006年7月7日(金)
始まり
大雨情報
 7月30日ソウル経由で夜半3時にムンバイに着いて、飛行機を降り、携帯電話の電源を入れると早速にメールの着信音。インドの携帯電話のサービスとして、州が変わるごとに、「ようこそ我が州へ、あなたの滞在が事故無く、幸せで有りますように」と必ず携帯会社からメールが入る。
 今回もそうだろうと画面に目を向けると、全然違う内容が。
 今後48時間以内に大雨が降ると予想されるため、低いところや河川の近くに住んでいる人は速やかに安全地帯に移動するように。そうして最後に発信者の名前が、ナグプール県部長と有り、名前を見て二度目の驚き。
 日本にいる時は何の情報も無かったので、安気にインドに戻ってきたのですが、マハラシュトラ州は全州洪水、河川が氾濫、大変な雨季になっていました。
 今から(現時間、30日お昼1時)禅定林に行くのですが、心臓の鼓動が鳴り止みません。
2006年7月30日(日)  No.7

身勝手
 9歳という年齢が自分の人生に大きな影響を及ぼした事からなのか、この事件には大きな憤りを感じ、畜生以下とか鬼にも劣ると比較されている畜生や鬼がかわいそうでならない。
 昨日も、来年2月8日の禅定林大本堂落慶式に出席して欲しいとあるところにお願いに行ったところ、その方から、私は30数年前に、インド仏蹟巡拝に行き、途中ナグプールのサンガ君の実家にも寄った。彼の両親に会って、サンガ君が比叡山に行くまでの過程を聞き、僅か9歳の一人っ子を、仏教復興のため、社会改善のためとは言え、手放した両親の心情を聞き大の大人がみなしてもらい泣きをした、と同行の方に話された。
 私にしても、日本が東西どちらに有るのか、比叡山に行って現実的に何をするのか、何も知らないままに、ただただ世の中で一番信頼、信用している親が行きなさいというから、ハイ行きますと日本に来た。
 それがこの度は、9歳の女子にとって一番信頼、信用している母親に川に投げ込まれた。自身の中でこの現実をどう整理して良いのかもわからない。
 仏教説話にもよく鬼が登場する。よく知られているのは、鬼子母神。千人もの子供の母親であるが、人間の子供を食して生きている。ある日、子供を食われた母親が、お釈迦様に、鬼子母に子供を食べられて大変悲しいと訴えでたところ、お釈迦様が、千人もいる鬼子母の子どものうちの一人を隠してしまった。999人しかいないと知った鬼子母はさあ大変、探せるところは全て探して見当たらない、最後に子供が一人いなくなった悲しみをお釈迦様に訴えたところ、お前には1,000人も子供がいるのに一人いなくなるとこの有様。人間には数人しか子供がいない、その僅かな子供をお前は食べてしまう、その悲しみが解るかと諭したところ、鬼子母神は反省。お釈迦様も隠していた子を返し、鬼子母神は以後子供を護りますと誓い、今でも子供を護る神としてあがめられている。人の子を食べて生きる鬼ですら自分の子供は可愛くて仕様が無いのに。
 畜生の方で言うと、禅定林には背の高いユーカリの木が十数本ある。時季が来ると、鶏卵大の小鳥がその木の上の方に卵を産み、雛がかえると大きなカラスやトンビが雛を餌にしようと襲い掛かってくる。自分だけでは叶わないと知っている親鳥は仲間を呼び、自分の何倍も有るカラスと戦い追っ払い雛を命がけで護る。
 この光景、私はただただ感心して見入っています。鬼、犬畜生と言われる生きものですら、子供を救うためなら自分の命を顧みることがありません。
 引き換え人間は、自分の身勝手のため、私利私欲のためなら純粋無垢な、ことも有ろうに自分の子供の命を奪う事をいとわないようです。
2006年7月28日(金)  No.6

始まり
平成18年6月3日を持ってパンニャ・メッタ協会のホームページが満二年になりました。記事掲載して下さった方、読者の皆さん多くの方にお世話になり継続が叶いましたが、最大の功労者は京都真如堂吉祥院の竹内純照師です。多謝。満三年を迎えるに当たり、マイナーチェンジをと言うことになり、このたび「如是我想」も増やしてもらいました。他宗教の経典は「神ありき」で始まるのが大半のようですが、仏教の場合の経典大半が「如是我聞:我かく聴けり」で始まります。自身の人生において、言った人が主人公では無く、聴いた本人が主人公。自身が主人公で有るために自身の動向には責任が伴います。これにならって、私も普段想っている事、考えている事を責任持て書き綴じたいと想っています。一行でも良いから毎日が目標ですが。はてさて。6月30日に上棟式の為にインドに戻る前に、書き込んだつもりが、コンピューター音痴のため更新されず自分でもがっかり、パソコン師匠の竹内師もいつになったら更新されるのかとはらはら。7月1日にパンニャ・メッタ図書館で伝教大師及びアンベドカル博士像の開眼式及び禅定林で在家得度(活動日誌に詳細)。翌2日には禅定林大本堂の上棟式(禅定林大本堂に詳細)。3日バケツを引っくり返したような大雨のためバスからの眺めるだけになったものの半日ムンバイ観光。4日早朝3時半の飛行機でソウル経由で福岡に。5日午前中、「天台宗九州西教区一隅大会」で講演。夜は叡山学院時代の友人数人とミニ同窓会。昔話に花を咲かせ。6日に大津に戻って来たかと想うと。大本堂工事の現地工事関係者がまだ理解していない部分があるため、8日夜半から今度は岡嶋邦男一級設計士と共にインドに。急な事でチケットが上手く準備できず。関空→バンコク→チェンナイ(マドラス)。国内線に乗り換えムンバイに。ムンバイ泊。10日午前のフライトでナグプール。12日まで工事関係者と会議。13日ムンバイに出て。バンコク経由で14日夜関空に戻ります。その間にいつ書き込めるか。読者の気持ちではなく、親心で気長にお願いします。合掌
2006年7月7日(金)  No.5

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