9歳という年齢が自分の人生に大きな影響を及ぼした事からなのか、この事件には大きな憤りを感じ、畜生以下とか鬼にも劣ると比較されている畜生や鬼がかわいそうでならない。 昨日も、来年2月8日の禅定林大本堂落慶式に出席して欲しいとあるところにお願いに行ったところ、その方から、私は30数年前に、インド仏蹟巡拝に行き、途中ナグプールのサンガ君の実家にも寄った。彼の両親に会って、サンガ君が比叡山に行くまでの過程を聞き、僅か9歳の一人っ子を、仏教復興のため、社会改善のためとは言え、手放した両親の心情を聞き大の大人がみなしてもらい泣きをした、と同行の方に話された。 私にしても、日本が東西どちらに有るのか、比叡山に行って現実的に何をするのか、何も知らないままに、ただただ世の中で一番信頼、信用している親が行きなさいというから、ハイ行きますと日本に来た。 それがこの度は、9歳の女子にとって一番信頼、信用している母親に川に投げ込まれた。自身の中でこの現実をどう整理して良いのかもわからない。 仏教説話にもよく鬼が登場する。よく知られているのは、鬼子母神。千人もの子供の母親であるが、人間の子供を食して生きている。ある日、子供を食われた母親が、お釈迦様に、鬼子母に子供を食べられて大変悲しいと訴えでたところ、お釈迦様が、千人もいる鬼子母の子どものうちの一人を隠してしまった。999人しかいないと知った鬼子母はさあ大変、探せるところは全て探して見当たらない、最後に子供が一人いなくなった悲しみをお釈迦様に訴えたところ、お前には1,000人も子供がいるのに一人いなくなるとこの有様。人間には数人しか子供がいない、その僅かな子供をお前は食べてしまう、その悲しみが解るかと諭したところ、鬼子母神は反省。お釈迦様も隠していた子を返し、鬼子母神は以後子供を護りますと誓い、今でも子供を護る神としてあがめられている。人の子を食べて生きる鬼ですら自分の子供は可愛くて仕様が無いのに。 畜生の方で言うと、禅定林には背の高いユーカリの木が十数本ある。時季が来ると、鶏卵大の小鳥がその木の上の方に卵を産み、雛がかえると大きなカラスやトンビが雛を餌にしようと襲い掛かってくる。自分だけでは叶わないと知っている親鳥は仲間を呼び、自分の何倍も有るカラスと戦い追っ払い雛を命がけで護る。 この光景、私はただただ感心して見入っています。鬼、犬畜生と言われる生きものですら、子供を救うためなら自分の命を顧みることがありません。 引き換え人間は、自分の身勝手のため、私利私欲のためなら純粋無垢な、ことも有ろうに自分の子供の命を奪う事をいとわないようです。
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2006年7月28日(金)
No.6
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