1962年 1月 3日 | 父サッチダナンダ・マナケ氏(ナグプール市仏教協会会長・印度仏教界指導者)、母シータバイ・マナケ女史の唯一子として、
インド中央ナグプール県にて誕生。
幼名をサンガラトナ・マナケという。
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1971年 4月15日 | ナグプール市立小学校卒業。
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1971年 6月 4日 | 大乗仏教求法のために来日し、延暦寺公式留学僧として泰門庵住職堀沢祖門師に師事して比叡山修学。
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1971年 6月 7日 | 大津市立坂本小学校に入学。
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1975年 3月20日 | 大津市立坂本小学校卒業。
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1975年 4月18日 | 延暦寺学園比叡山中学校入学。
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1975年 6月29日 | 天台宗比叡山延暦寺浄土院において、印度留学僧として天台座主山田恵諦大僧正を戒師に、泰門庵住職堀澤租門徒弟となって出家得度。
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1975年 8月 3日 | 夏休み期間を利用して、来日後4年ぶりに初めてインドヘ帰省。
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1978年 3月20日 | 延暦寺学園比叡山中学校卒業。
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1978年 4月 1日 | 延暦寺学園比叡山高等学校入学。
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1981年 3月10日 | 延暦寺学園比叡山高等学校(第2宗教科履修)卒業。
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1981年 4月 1日 | 延暦寺学園叡山学院仏教本科入学。
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1981年 7月22日 | 夏休み期間を利用して、来日後2度日のインドヘ帰省。
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1982年 1月10日 | 冬休み期間を利用して、来日後3度日のインドヘ帰省。
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1982年3月 | 堀澤租門会長による印日仏教友好協会が発足し、インド共和国政府により宗教・学校・社会法人として認証され、法人資格を取得。本部をナグプール市仏教会会長をつとめていたサッチダナンダ・マナケ氏の自宅に開設。
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1982年 6月 | ナグプール市より東南の方位へ、約90キロの地点に位置するパンダラ県ポーニ市ルヤード村に、8千坪の土地を購入。
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1982年 9月 7日 | サンガラトナ師、比叡山行院四度加行遂業。
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1982年12月 5日 | 「印日仏教友好協会(2001年「パンニャ・メッタ・サンガ」に改名)」発足、インド政府より宗教・学校・社会・医療法人の認証取得。
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1983年 3月 7日 | サンガラトナ師、延暦寺学園叡山学院仏教本科卒業。 |
1984年 3月 1日 | 比叡山居士林(所長堀澤租門)の助手として1年間修道満行。
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1985年 7月20日 | 比叡山無動寺谷道場において百日回峰行を、外国人僧として史上初満行。
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1985年12月18日 | 比叡山を中心に14年6ケ月間の日本仏教修学期間を満了して母国のインドへ完全帰国。
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1985年12月 | ボーニ市ルヤード村において、禅定林建設事業を開始し、禅定林建設準備局長兼住職に就任するとともに、印日仏教友好協会の事業活動を展開。
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1985年12月 | サンガラトナ師、印日仏教友好協会事務総長就任。 |
1986年 1月 | ポーニ市ルヤード村の8千坪の土地の一部を使用して、禅定林建設工事に着工。
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1987年 2月 8日 | 禅定林落慶法要を厳修。インド仏教徒10万人が参集。日本からも仏教青年会を中心に50名の僧侶が参席。これ以後、日本からの旅行団が親善交流のために多数訪問。
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1988年 1月31日 | 総建坪5百坪の禅定林建造物が完成。現地のインド人僧侶たちやチベット僧らと修行生活開始。境内整備に励む。
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1989年 2月11日 | 天台仏教青年連盟による集1次訪印団が結成され、禅定林において日印親善合同法要が開催される。この機に禅定林の自活運営が協議提案され、仏教青年連盟による経済援助が検討され、農地獲得などを目的とした土地取得のために、日本にて募金支援活動が開始される。
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1991年 1月17日 | サンガラトナ法天師の父君・ナグプール市仏教会長のサッチダナンダ・マナケ氏(マナケ・グルジー)他界。
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1991年 6月 | 「パンニャ・メッタ子供の家」が禅定林にて開園。
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1991年11月 3日 | 天台仏教青年連盟の招請を受け来日し、同連盟中央結集大会で講演し、インド仏教の現状および印日仏教友好協会の奉仕活動を報告して、土地取得のための募金支援を懇請。
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1992年 9月 | 天台仏教青年連盟による特別支援金を受領。
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1992年 9月15日 | 天台仏教青年連盟による経済支援により22エーカー(約3万坪)の土地取得が完了。取得した耕地の水田開墾、果樹園の開園、植林栽培を順次実行し、支援金の剰余金にてパンニャ・メッタ子供の家孤児院建設の計画調査に着手。
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1992年 9月 | パンニャ・メッタ農園開園。
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1992年10月 | パンニャ・メッタ子供の家孤児院建設の計画調査の段階で、近隣の貧困家庭子女の入園希望が殺到し、緊急保護を要する7名を禅定林内にて寄宿させ、子供の家共同生活開始。
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1993年 2月14日 | 天台仏教青年連盟による第2次訪印団が結成され、禅定林において日印合同法要が開催される。支援金による土地取得などの健全活用がなされているかの視察と、子供の家建設の起工式を執行。
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1993年 6月 4日 | パンニャ・メッタ子供の家孤児院建設に着工。
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1993年 6月 | ナグプール市の北40キロ地点に位置するパデガオン村において、印日仏教友好協会パデガオン支部の運営による無料幼稚園を開園。
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1993年10月 | 訪日して各支援団体に現状報告と、継続的協力支援を懇請し、パンニャ・メッタ・ボランティア活動を展開。
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1993年10月 | 日印仏教友好協会、天台宗総本山比叡山延暦寺、天台宗務庁、天台宗一隅を照らす運動総本部、天台仏教青年連盟などの支援団体を表敬訪問し、現状報告と継続支援を懇請。
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1993年10月 | 大阪市天王寺区仏教青年会の結成40周年記念行事事務局より要請を受け、講演会でインド仏教の現状を講演。
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1993年12月 | バンニャ・メッタ子供の家孤児院上棟。
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1994年 2月 6日 | ナグプール市より東へ180キロ地点に位置するドンガルガル市に所在する小高い山をインド政府より購入し、プラジュニャ・ギリ(智慧山)と命名し、新たに宗教活動を開始。この山上に10メートル大の釈迦大仏を建立の予定。
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1994年 8月14日 | サンガラトナ法天師の母堂シータバイ・マナケ女史他界。
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1994年10月 | バンニャ・メッタ子供の家が主催する第1回作文コンクールを開催し、「釈尊の生涯およぴその教え」をテーマにする。
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1994年10月 | 訪日して各支援団体に現状報告と、継続的協力支援を懇請し、パンニャ・メッタ・ボランティア活動を展開。
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1994年10月 | 日印仏教友好協会、天台宗総本山比叡山延暦寺、天台宗務庁、天台宗一隅を照らす運動総本部、天台仏教青年連盟などの支援を受けている各団体を表敬訪問し、現状報告と継続支援を懇請。さらに今後の方針を模索。
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1994年11月20日 | 日印共同第1回学生ボランティア・キャンプを開催し、禅定林において11日間にわたって、両国の学生各13名が参加。日本側からは京都国際文化専門学校の学生たちが参加。
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1995年 1月30日 | ダーナ・インターナショナル・センターと親善交流を開催。
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1995年 2月 8日 | バンニャ・メッタ子供の家落成法要を執行。インド仏教徒5万人が参集した。天台仏教青年連盟による第3次訪印団が結成され、50名参加のもとに落成記念式典日印合同法要が開催される。天台宗一隅を照らす総本部による特別支援金を受領。
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1995年 2月 8日 | 1日診療所をパンニャ・メッタ子供の家にて開設。開設記念日に年1度、地元住民に地域奉仕。
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1995年 8月 | インド仏教会公式代表団(定員5名)が結成され、団員として訪中し、中国仏教会を公式表敬訪問。
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1995年 4月14日 | 印日仏教友好協会ポーニ支部の運営によるマハサマディ無料図書館を、ポーニ市内に開放。サンガラトナ師、マハサマディ図書館長就任。
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1995年 6月 | 印日仏教友好協会ナグプール支部の運営によるタイニー・キッド無料幼稚園(園児40名)をナグプール市内に開園。
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1995年 6月 | サンガラトナ師、タイニー・キッド幼稚園長就任。
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1995年 9月 | ナグプール市内に1200坪の土地の寄託を受け、協会の活動所として検討開始。
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1995年 9月17日 | パンニャ・メッタ子供の家入所式を行ない、子供たち23名を受け入れ、スタッフ7名とともに共同生活を開始。
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1995年 3月 | インド仏教会代表団の一人として中国仏教会を公式訪問。
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1995年10月 | パンニャ・メッタ子供の家が主催する第2回作文コンクールを開催、『現代における仏教の必要性』をテーマにする。
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1995年10月 7日 | 訪日して各支援団体に現状報告と、継続的支援を要請し、パンニャ・メッタ・ボランティア活動を展開。
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1995年10月21日 | 日印仏教友好協会ならぴに禅定林の役員総会を、和歌山県熊野に所在する禅定林寺(天台宗修験道教区所属)にて開催。
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1995年10月 | パンニャ・メッタ基金創立。
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1995年10月 | 日印仏教友好協会、天台宗総本山比叡山延暦寺、天台宗務庁、天台宗一隅を照らす運動総本部、天台仏教青年連盟など、支援を受けている各同体を表敬訪問し、現状報告と継続支援を懇請。
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1995年12月 | 日本郵便連絡所開設にかかわるインド現地活動視察をを実施。
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1996年 1月17日 | サンガラトナ師の父サッチダナンダ・マナケ氏の6回忌法要。
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1996年 1月18日 | パンニャ・メッタ協会本部棟の新築工事にあたり地鎮祭執行。
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1996年10月 | サンガラトナ師、印日仏教友好協会副会長就任。
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1996年10月 5日 | 世界平和祈願巡礼インド縦断大行進を、10月21日まで開催し、宗教を超越して世界平和に向けての平和活動を展開。ネパールのルンビニからナグプールまでの約3千キロを、全行程参加者80名、部分参加者千名以上が踏破した。
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1996年12月 | 禅定林内仏に釈迦生涯賛嘆壁画を製作。
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1997年 2月 | 天台宗インド交流親善視察団を指導。
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1997年 3月 | サンガラトナ師、天台宗ラオス学校建設ボランティア団に参加。
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1997年 4月 8日 | マハサマディ仏教婦人会が発足。インド女性の地位向上を促進。
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1997年 4月14日 | 原住部族民居住区において巡回医療活動開始。(以後継続)
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1998年 2月 | 天台宗インド交流親善視察団を指導。
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1998年 2月 6日 | ナグプール市より東へ180キロ地点に位置するドンガルガルブジュ市に所在するプラジュニャ・ギリ(智慧山)山上に10メートルの台座の上に10メートルの釈迦大仏が完成。開眼式を執行。10万人のインド仏教徒が参集し祝福。
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1998年 | ドーン英語学院開校。
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1998年 | パンニャ・メッタ識字学校開設。
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1998年 | パンニヤ・メッタ自主学習室開設。
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1998年 3月 | サンガラトナ師、天台宗ラオス学校建設ボランティア団に参加。
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1998年 9月17日 | サンガラトナ師、比叡山延暦寺灌室において入壇灌頂履修。
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1999年 2月 6日 | プラジュニャ・ギリ(智慧山)山上釈迦大仏例祭開催。
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1999年 2月 | 天台宗インド交流親善視察団を指導。
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1999年 3月 | サンガラトナ師、天台宗ラオス学校建設ボランティア団に参加。
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1999年 4月14日 | 原住部族民居住区における巡回医療活動を無料展開。以後定期的に巡回。毎月千名程度の患者を治療。
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1999年 6月30日 | サンガラトナ師、比叡山延暦寺灌室において開壇伝法履修。
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1999年 7月10日 | サンガラトナ師、比叡山延暦寺において円頓戒受戒。
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1999年 7月30日 | サンガラトナ師、天台宗僧階『大律師』補任。
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1999年 8月18日 | PMA通信・ホームページ開設。
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1999年10月1日 | サンガラトナ師、比叡山延暦寺において法華大会広学竪義遂業。
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1999年10月 | パンニャ・メッタ子供の家が主催する第3回作文コンクールを開催し、『改宗』をテーマにする。
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2000年 2月 6日 | プラジュニャ・ギリ(智慧山)山上釈迦大仏例祭開催。
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2000年 2月 8日 | バンニャ・メッタ子供の家開設5周年記念式典執行。
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2000年春 | 禅定林庭園に釈迦生誕聖跡を再現する石像を建立。
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2000年 5月22日 | サンガラトナ師、日本滞在時宿所を比叡山円頓精舎に契約。
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2000年 5月22日 | 日印仏教友好協会の事務所を比叡山麓宝林寺内に移転。
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2000年 5月30日 | 日印仏教友好協会と印日仏教友好協会を合併し、名称を「パンニャ・メッタ協会」と変更。
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2000年 6月12日 | サンガラトナ師の日本在留資格3年認定。
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2000年 6月15日 | パンニャ・メッタ協会(日本)規約試案作成。
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2000年 6月20日 | パンニャ・メッタ協会(日本)郵便振替新口座開設。
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2000年 7月11日 | 機関誌『パンニャ・メッタ会報第1号』(通巻第6号)刊行。
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2000年 7月16日 | 京都みやこライオンズクラブを中心とした訪印団が結成され、パンニャ・メッタ活動を視察。
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2000年 7月18日 | インド・ナグプール市ナラ町にて、パンニャ・メッタ学園MIYAKO中学校の校舎完成式を執行。
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2000年12月 4日 | パンニャ・メッタ協会理事会結成準備委員会開催。理事役員選出。
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2000年10月 | パンニャ・メッタ子供の家第4回作文コンクール開催。
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2000年11月 | インド政府文部省より小学校開設認可取得。
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2000年12月 6日 | 一隅を照らすパンニャメッタ訪印団が結成され、親善キャンプ開催。
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2000年12月 8日 | 一隅を照らす幼稚園園舎落成式を開催。
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2000年12月 8日 | 禅定林境内に仏跡庭園を開園し、落慶式を開催。
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2000年12月10日 | 禅定林に釈尊生誕聖跡石像を建立。
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2001年 1月 1日 | 機関誌『パンニャ・メッタ会報第2号』(通巻第7号)編集会議。
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2001年 1月 1日 | 新年カレンダー(子供手書き)発行。
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2001年 2月 8日 | パンニャ・メッタ子供の家開設6周年記念式典執行。
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2001年 3月 3日 | 協会結成18周年記念禅定林復刻版・活動記事合冊本発行。
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2001年 6月 3日 | 「パンニャ・メッタ協会日本委員会(略称PMJ)」発足。
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2002年 2月 | 西インドグジュラート州大地震被災地において、学校建設(2校)、井戸掘削(4基)、3年以上にわたり巡回医療活動を継続。
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2003年 2月 9日 | グジュラート州大地震被災地のアンジャール市に学生寮完成。
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2003年 9月11日 | 世界平和祈願大行進をナグプール市内で開催、宗教を超越して世界平和を祈願。
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2003年11月 6日 | 「禅定林大本堂建立委員会」発足。2007年2月8日落慶を予定。
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2003年11月29日 | 日本で「PMY(パンニャ・メッタ青年会)」発足。
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2004年 1月 13日 | 禅定林大本堂建立委員会第1回現地調査・打合せチーム訪印
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2004年 2月 1日 | 第1回PMY青少年交流団をインドへ派遣。
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2004年 2月 7日 | パンニャ・メッタ学園体育館建設地鎮祭。約1年後に完成予定。
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2004年 6月 2日 | サンガラトナ師、天台宗海外寺院インド禅定林住職辞令を拝命。滋賀院門跡にて親授式に出席。
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2004年 6月 3日 | 「パンニャ・メッタ・サンガ」ホームページのリニューアルオープン。
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2004年 8月 1日 | JICA主催の「ピース・トーク・マラソン2003-2007 in 滋賀」のパネルディスカッション「一人ひとりにできること。一人のためにできること」にパネリストとして参加。
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2004年 9月 2日 | 禅定林大本堂建立委員会第2回現地調査・打合せチーム訪印
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2004年 9月11日 | ナグプール市内で世界平和祈願大行進を開催。
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2005年 2月 6日 | プラジュニャ・ギリ(智恵山)山上釈迦大仏様開眼8周年記念法要例祭開催。
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2005年 2月 7日 | パンニャ・メッタ学園体育館落成式。
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2005年 2月 8日 | 禅定林大本堂地鎮式、2007年2月8日落慶予定。パンニャ・メッタ図書館地鎮式、2006年2月8日落成予定。
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2005年 4月 16日 | スマトラ沖地震による津波被害復興支援のため、インド東海岸ナガパッティナムで調査活動実施。
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