☆サンガ師紹介☆ サンガさんのこと、お話しましょうか。

その1
 誕 生 秘 話

 サンガさんの両親は、とても敬虔な仏教信仰者でした。

 仏教に改宗する以前、ヒンドゥ教徒だった時のマナケ家は、ヒンドゥ教僧侶が「穢れているから」という理由で、寄りつくことさえない不可触民家庭の宗教儀式を司り、永年アンベドカル博士の徒弟として、カースト制度撤廃の運動を続けてきました。


改宗式翌日に演説するアンベドカル博士
 1956年10月14日、アンベドカル博士はナグプールにおいて、すべてが平等に生きる社会実現のために、ヒンドゥ教から仏教への改宗宣言をされました。この時、マナケ家でも全員が仏教に改宗しました。同時に50万人もの人たちが仏教へ改宗した歴史的な出来事でした。
 サンガさんのお父さんは、グルジ(師)という尊称で呼ばれる地元の有力者で、カースト制度によって人間が差別・卑下されることに反対する活動を生涯続けました。

 マナケ夫婦には子供がありませんでした。
 改宗した当時のナグプールには、まだ僧侶もほとんどいなかったため、僧侶が宿泊できる寺院や施設もありません。夫婦は、よく旅の僧侶のお世話をし、食事を差し上げたり、家に泊まってもらったりしていました。

 1960年末のある日、チベットからの旅の僧侶がナグプールで病いに倒れました。それを聞きつけたマナケ氏は、僧侶を家に運びました。いっしょに旅していたもう一人のお坊さんは、お世話の様子を見て安心し、また旅のつづきに出発しました。

[]
サンガさんの父サッチダナンダ・マナケ氏(中
央。抱いているのは近所の子供)。預言者と
なったチベットのラマ(僧侶) ロブザン・チョウ
ンドゥク大僧正(向かって左)と弟子(右)。
 病気の僧侶は、夫婦の手厚い看病の甲斐あって3ヶ月ほどで元気になり、ブッダガヤにある自分のお寺へ帰ることになりました。
 出発の時、このチベットの僧侶は「あなた方夫婦の無私のお世話のおかげで元気になりました。ありがとう。さて、何かお礼をしたいのですが、私は僧侶の身、あげるものは何も持ち合わせていません。しかし、ご祈祷ならできます。何か望みはありませんか?」
 そう聞かれた夫婦は「あなたを看病しお世話させて頂いたのは、見返りを期待してのことではありません。子供がいないこと以外、私たち夫婦は神仏のおかげで幸せな日々を送っています。」と答えました。
 これを聞いた僧侶は、「わかりました。あなた方夫婦に子供が授かるよう、仏様にお祈りをしましょう。」と祈祷をし、「祈祷によって子供が授かるでしょう。しかし、祈祷によって授かる子供ですから、将来は出家するでしょう。」と言い残して旅だちました。

[]
サンガさんの母シータバイ・マナケさん。ナグ
プールの自宅前で(現在は協会本部)。
 それから3ヶ月後、夫婦に子供ができたことがわかりました!
 夫婦が大変喜んだことは言うまでもありません。そうして1962年1月3日、元気な男の子が生まれました。父サッチダナンダ54才、母シータバイ47才の大変な高齢出産でした。
 夫婦は、僧侶から授かったこの子に「サンガラトナ」と名付けました。「サンガ」とは「僧侶の集団」、「ラトナ」とは「宝」という意味です。
 そう、サンガラトナ・マナケ、この男の子がサンガさんです。

 今も、インド・ナグプールにあるパンニャ・メッタ協会本部の父母恩寺ぶもおんじには、両親の写真と共に、このチベットの僧侶、ロブザン・チョウンドゥク大僧正の写真が祀られています。
 (父サッチダナンダ・マナケは1991年1月18日、母シータバイは1994年8月14日にそれぞれ他界されました)。

 サンガさんには数え切れないほどの恩人がおられますが、このチベットの僧侶が最初の恩人と言えるでしょう。

その2「来日までのサンガ少年」へつづく(制作中)