如是我想

2006年12月の日記

2006年12月30日(土)
親切
2006年12月26日(火)
今後
2006年12月21日(木)
趣味
2006年12月16日(土)
メール
2006年12月14日(木)
のろし=IT
ノータイム
2006年12月13日(水)
体感気温
親切
知らない町に行って、道に迷い困惑、地元っぽい人に訪ねると、親切この上ないけど、理解しにくい教え方をされ、時には余計にわからなくなることもある。しかしこのようなときこそがインド人の度量の発揮のしどころ。こんなに親切に教えているのにわからないのか、じゃあ仕様が無いな、目的地まで連れて行ってあげましょうと、15分以上かけて現場までつれて行ってくれる。ありがとうの言い合いに慣れていないインド文化、謝意を述べる暇も無い。そして、みてみると案内人は今来た道をまた戻っている。こちらは案内人も同じ道を行くのだろうと気軽によろしくと頼んだのだが、なんのなんの、彼はわざわざ15分以上歩いて同道してくれた。そうして、また15分以上かけてもどるのである。時にはそこからまだ先長い道のりを歩いて彼本来の目的地に到達することもある。昨日ナグプールの学校で9年生に通っているレカが泣きべそをかき、友人二人に付き添われて帰ってきた。本人は泣くばかりで、友人が代弁。レカは自転車通学。同じクラスの別のグループが実験か何かで学校を離れることになり、友人の一人が自転車を貸して欲しいと言うので貸したところ。レカの帰宅時間になってもその友人は学校に戻らず、先生に聞いてみると5時を過ぎないと帰らないとこと。五時までは2時間以上あるし、自転車を持って帰らなければ怒られるしと泣いていると、友人二人が一緒に行って事情説明してあげるとついてきました。説明が終わりお茶を飲み、どこまで帰るのと聞くと、学校を通り越してまだ倍の道のりを帰るという。つまり彼女達は学校まで20分そこから40分約一時間友達のために自転車をこぐことになる。近所の友人がついでについてきたのかと思いきや。友人思いの親切なレカの友人でした。
2006年12月30日(土)  No.29

今後
基本的に週のうち半分はナグプール、半分は禅定林に滞在と思うのですが、今は本堂工事、落慶法要の準備等で思うような時間配分ができません。日帰りでナグプールに戻ったり、夜禅定林に来て朝早くナグプールに戻る事がほとんどです。12月22,23,24,25日と禅定林で冬季青少年研修会があり久しぶりに三泊しました。23が土曜日、24日が日曜日と言うこともあって、朝の早い時間から、夜暗くなってからも多くの人が禅定林参拝に来ました。本堂が完成していない現在、禅定林には特別な研修施設は無く、人の往来のある日中の研修は子供の家の広間、学習室でします。昼休みや途中の休み時間に用があると禅定林に戻るのですがいつ戻っても門前には車やバイクがところ狭しと停まっています。村に用で来る車があるはずもいなく、車、バイク全部の目的は禅定林参拝です。家族や地域の人が集まり運転手付きのレンタカーを借りてきます。大半はスモー(発音はこのようですが、相撲から取った名前。力士のように強い車と言うことらしいです)と言う運転手を入れて10人乗りのワゴン車のような車ですが乗ってくる人数は良くて定員の1,5倍。普通には倍の人数。途中警察に咎められる事もありますが。インドにはインド流の解決の仕方があります。禅定林に来る車、土日で50台は下らないと思います。平日でも10台。週にすると100台。車で来る数だけでも1500人です。バイク、バス、歩き当を入れるとその倍3000人になると思います。年間15万人以上が禅定林参拝に来ていることになると思います。そうしてこの数はインドの総人口12億分の15万ではなく、仏教徒800万人分の15万です。禅定林大本堂工事が始まる前には考えられなかった数です。大本堂に対する期待を実感すると共に、関係者一同初心にかえり、参詣者の期待に答えねばと感じます。
2006年12月26日(火)  No.28

趣味
最近、名前、性別、生年月日、学年、生誕地、入園日、将来の希望、趣味を入れて子供の家の子供達のリストを作成しています。作成しながら、子供達の家庭環境を再認識したり、色々なことに気づくことがあります。趣味の欄に17人がクリケットと記入、13人がカバディ、バドミントンが6人にテニスが3人。世の中には色々なことがあるにもかかわらず、限られた趣味です。情報を多く持っている人なら40通りの趣味でたのでしょう。人間が趣味を持つのは自分の生活範囲に存在するものだけでしょうか。実際カバディを書いた子供の大半が現在小学校でカバディを習っており、クリケットは中学校以上の子供です。幅広い視野を養わないことには広大な夢を持つことはできないのかもわかりません。
2006年12月21日(木)  No.27

メール
日本で事務仕事をしようと、コンピューターをONにすると、酷い時には数分かけて、しなければならない仕事があります。メールアドレスをホームページで公表しているためなのか、私には関係も興味も無いメールが毎日100個近く入っています。金融関係、女性関係、薬剤関係等。私の名前がカタカナや英語表記になっているためなのか、半分くらいは英語のものです。受け取る人間に興味も関心も無いのに、送る側は何をもくろみ送ってくるのか、私に送ることでどのような利益が発生するのか、さっぱり理解でしません。私ならこんな労力は惜しむのですが。興味のある人には喜ばしいことなのかもわかりませんが、興味の無い人間には、めんどくさい、頭痛の種。知人に相談すると、あなたに来ている数は半分以下、自分はその何倍もの数と毎日格闘している。こないようにする方法は。そんなものは無い、気長に毎日消していく、これが最大の防御。いわれた通りに毎日消してから仕事にかかります。インドに来ると、この仕事が無くなります。しかし、最近はインドでも100パーセントー無くなりますとは言えない状況です。毎日2,3つは同様のメールが来ます。人間物欲に走るとこのように手当たり次第になるのでしょうか。
2006年12月16日(土)  No.26

のろし=IT
不在中にたまっている仕事があり、それらをこなすために時間が必要で、インドに戻ってくる日を対外的に口外しないようにきつく事務所の人たちに言ってあるので本来私の到着を知っている人はそんなにたくさんいないはずですが、11月朝8時に本部に戻った時にはもう、数人待っていて、その後も頻繁イ人の出入りが。日本滞在中に完成しなかった書き物を飛行機の中でこなし、本部で最終チェックをしてすぐに日本にメールで送る約束をしていたのですが、こんなに人がいると気が散り、思うように進まない。しかし、これこそインドで乗り越えなければならない壁。こちらの都合は一切無視、連絡無しで急に来る人とどう対応するか、頭を悩ますところです。人のため、社会のためと言っている限り、彼らの往来は受け入れなければならない、しかし、応対せずにしなければならない用件もたくさんあり、こちらも人のため。長年の経験学習で少しはこなせるようになりましたが、まだまだ未熟です。しかし、何にもまして不思議なのは、何故戻ってくる日がわかるのか。流石はIT国インドと思う人がいたらそれは違います。私のところに来る人の大半がそのひぐらし、コンピューターどころか電話も無い人が多い。そのような人たちが、ITに携わっているはずもなく、どうしたらわかるのか、20年来の私の中の不思議です。もしかすると夜な夜なのろしをあげているのかも知れません。
2006年12月14日(木)  No.25

ノータイム
私が日本からナグプールに戻ってくるのに今一番便利な方法は、夕方5時20分に関西空港を出発、一時間強でソウルに到着。一時間のトランジット時間があって8時40分ソウル出発。夜半3時前にムンバイに着く。通関荷物に小一時間かかり、4時頃に国際から国内線に移動する空港内にあるシャトルバスの乗り場に。しばらく待って4時半くらいに国内線空国に到着。しばらく空港の椅子で待ち。6時40分発のナグプール行きに乗るために5時半から搭乗手続き。8時にナグプール着。8時半過ぎには本部に到着できます。ムンバイの国際線から国内線移動のバスの待合所で待っていると、同じ飛行機で来たと思われる韓国の人がバス関係者に「次のバスは何時に出発するの」と聞くと「ノータイム」との答えを耳にした韓国の人は鳩が豆鉄砲を食らった様子。国の顔であるはずの国際空港で、ノータイムと言う返事が返って来るとは夢にも思わなかったのでしょう。結局彼もあっと言う間に感化されたのか、他に方法が無かったのか、インドの流れを受け入れるしかなく、隣の椅子で辛抱強く20分ほど一緒に待ちました。ムンバイ空港の現在のシャトルバスの運行は。空港内の端に設けられている道路を走り、まず民間会社の乗客を降ろす。民間を優先しているのではなく、立地上国際線からはこちらが近いというだけのこと。お客さんが降りたら、その先まだ10分ほど走って準国営の乗降場に。ここでもお客さんをおろし、同じルートで今度は国際空港に行きたいお客さんを乗せて戻ってくる。乗客を降ろす時あるいはバス同士がすれ違う時に、朝の挨拶がほんの少し長めになることが数回あったにしろ、お客さんの乗降にかかる時間がよめずに関係者は「ノータイム」と答えたのでしょうが、慣れている我々には「あ、そうか」で終わる話も、知らない外国の人には不思議の国インドとうつるのでしょうか。
2006年12月14日(木)  No.24

体感気温

11日日本を出た時の外気温は10度前後、空港に入ってしまえば、コートを脱いでも大丈夫な気温に保たれている。飛行機の中も適温、寒ければ毛布を貸してくれる。ソウルで1時間トランジットしてインドに来たので、空港から外に出ることもなく、空港内は日本と同じく適温に設定されている。ムンバイに到着して中の一枚を脱ごうか脱ぐまいか。思案しているうちに、国際線からシャトルバスに乗り国内線に移動。バスはエアコンが無いため湿気を含むムーットした暑さ。しかし狭いバスの中、着込んでいるものを脱ぐわけにもいかずそのまま国内線に。しかし、国内線空港に入ったとたん、着込んでいることに感謝しまし。同じムンバイ、国際線と国内線とでは外気温が違うはずも無く、違うのはエアコンで設定されている温度。多分15度に設定されているのか、10時間ほど前に日本にいた私が寒く感じ、重ね着していてよかったと思うほど。空港の中にセーターやコートを着ている人もいれば、こちらが鳥肌が立つような半そでの人。普段からエアコンを十分にきかせた生活をしている人もインドにはいること実感。ナグプールに降りた朝8時は外気温16度度。相変わらず、コートを着た人と半そでシャツでいる人がいました。
2006年12月13日(水)  No.23

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